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持病と仕事のストレスで適応障害になり休職した文系SEのブログ。

【適応障害で休職13】仕事への復帰を決意しました。ー「やりたいこと」への地盤づくりのためにー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

2019年の10月に適応障害と診断されてから約2ヶ月が経ちました。 

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当初は1ヶ月休職→復帰の予定でしたが、精神的な不安がなかなか解消せず、結局さらに1ヶ月休職することになりました。

それから数週間の間、今の仕事ややりたいことについて、たくさん考えることができました。

そして、2019年の1月から仕事へ復帰することを決意しました。

今回は決意するまでの経緯と、これからどう働いていきたいかについて書きたいと思います。 

決意までの経緯

休職して間もないころは、会社を今すぐ辞めたくて辞めたくて仕方ありませんでした。

仕事や上司のことを考えるたびに毎朝、毎晩泣いていました。

頭や心の中がごちゃごちゃになってしまったので、辞めたいと思ってしまった理由について考えたこともありました。

www.marina422.com新卒で入社して約1年半が経ったころに「こんなはずじゃなかった」と思うことが多くなりました。

平日は、毎日同じ時間の電車に乗り、1日の大半を会社で過ごし、帰宅したら晩ご飯を食べてお風呂に入って寝る。

週末は、お弁当の作り置きを作るための買い物と料理に費やしていました。

たまに友達や家族と出かけても、日曜の夕方になれば気持ちを「仕事モード」へと切り替え、次の日の服や身支度の準備、いつもより早く寝ることに必死でした。

自分のやりたいことを考える時間などなく「この生活が何年も続くんだろうなあ…」と思うのが当たり前になっていました。

 

休職してからは、いろんなことを考えることができました。

人生でやりたいこと。

人生でやりたくないこと。

自分の病気のこと。

これからどういったマインドで働いていきたいか。

働いていた時には考えられなかったことややりたかったことが目に見えるようになり、自分の本音に気づくことができました。

同時に、自分のやりたいこととやりたくないことを通じて、楽しみながら働くための方法を模索するようになりました。

でも、今の状態でやりたいことに打ち込んでも、仮にうまくいかなかった時に症状が悪化してしまうのではないかと考えました。

適応障害「うつ」と隣り合わせの病気です。

今は適応障害で済んでいても、症状が悪化すれば「うつ」になってしまい、本当にとり返しのつかないことになってしまいます。

 

そこで、まずは職場に復帰して症状の回復を目指すことにしました。

まだまだ精神的に不安定な状態なのでフルでの復帰は難しいですが、自分のペースで仕事ができるように会社と相談をしていこうと思っています。

また、仕事にいけない日は無理しない程度に、自分のやりたいことへの地盤づくりのための作業に集中することに決めました。

「自分のために働く」を実現するために

今の会社に入社が決まってからは、すぐに家に帰って母に「内定でたよ!」と報告しました。

母は笑顔で「おめでとう」と言ってくれて、わたしと一緒に喜んでくれました。

同時に「これで母を安心させることができる」という思いでいっぱいになりました。

入社して働くようになってからは、毎日がものすごいスピードで過ぎ去っていき「ああ、もう給料日か」と思いながら働いていました。

給料日がやってくる度に、わたしは喜びました。

お金が手に入ったことはもちろんですが、このお金で母に恩返しができることに大きな喜びを感じていました。

これまで自分を育ててくれたお礼として、給料日がくるたびに母にお金を渡していました。

わたしが交通事故やガンなどにならない限り、間違いなく母はわたしより先に亡くなります。

その時がくるまでに、必ず母に「もうmarina*は1人でも大丈夫ね」と言ってくれることに必死になっていました。

 

でも、休職して働けなくなってから、その考えが間違いだったことに気づきました。

 今までのわたしは「自分のために働いていた」のではなく「母のために働いていた」ことに気づきました。

自分のやりたいことや幸せは二の次で、母の安心を優先していたのです。

誰でも家族を幸せにしたい、という思いはあると思います。

ましてや自分を産んで必死に育ててくれた母には、その思いも強くなることでしょう。

でも、今の自分が幸せに感じられていないのに、誰かを幸せにすることは難しいです

不安や悩みに押しつぶされて心に余裕のない人間が、目の前で泣いている人を元気づけられるでしょうか?

犠牲なき献身こそ真の奉仕

フローレンス・ナイチンゲール

「クリミアの天使」とも呼ばれた偉人ナイチンゲールの言葉です。

自分を幸せにできていないのに誰かのために働いても、相手には何も与えることができません。

わたしの場合、仕事のプレッシャーや持病のストレスを我慢した結果、適応障害で休職することになり、働けない状態になってしまいました。

その結果、母にたくさん心配や迷惑をかけることになり、毎月のお礼もできなくなってしまいました。

母を幸せにするためには、自分で病気が治ると信じること。

母を幸せにするためには、自分が楽しんで仕事をすること。

母を幸せにするためには、まず自分を幸せにすること。

働けなくなった状態になって、やっと気づくことができました。

「自分のために働く」ことが、結果として母への幸せにつながる。

そう思えるようになってから、不思議と病気になったことを後悔することがなくなりました。

復帰してどうしていきたい?

先述のとおり、まずは会社に復帰して、少しづつ以前のように働ける状態を取り戻していきたいと思います。

やっと回復した状態が悪化しないよう、自分の体調と精神状態の様子を見つつ働けないか会社と相談することが次回の面談での目標です。

同時に、会社で体調を慣らしている期間はやりたいことへの地盤づくりにあてていこうと思います。

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 人生でやりたいことリスト100をもとに、自分が楽しく働いていく方法を確立していこうと思います。

思い切って今の仕事をやめようか考えたこともありました。

ですが、新卒で入ってまだ約2年しか経っていないことと、病気を理由にいきなり辞めてしまうことにもったいなさを感じるようになりました。

今の会社に入ったのも何かの縁。

病気になってしまったのも何かの縁。

自分のやりたいことが分かったことで、今の状況を好転させてやろうと強気になることができました。

まずは会社との相談を前向きに進むための一歩にしたいと思います。

まとめ

休職したてのころは「もう治らないかもしれない」「これからどうやって生きていけばいいんだろう」という不安でいっぱいでした。

毎朝、目覚めるたびに涙で布団をビショビショにしていました。

毎日泣いてばかりいたせいで、ふと自分の顔を鏡で見てみたら、まるで水に濡れた時のアンパンマンのような表情になっていました。

でも、こうしてブログを通して考えをまとめたり、自分の本音と向き合う時間ができたおかげで、これから具体的にどう動けば自分の幸せにつながるのかが少しずつ分かってきたように感じられます。

最近では、テレビをみたりラジオを聞いたりしておもしろかった時には、少しずつ笑えるようになりました。

まだまだ本調子ではなく、体がだるかったり、言葉を紡ぐことが難しいときもあります。

少しずつ、自分の体と心と相談しながら前に進んでいきたいと思います。